最高裁判所第1小法廷判決平成23年7月21日
損害賠償請求事件
『平成23年重要判例解説』民法12事件
【判示事項】 最高裁平成17年(受)第702号同19年7月6日第二小法廷判決のいう「建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵」の意義
【判決要旨】 最高裁平成17年(受)第702号同19年7月6日第二小法廷判決民集61巻5号1769頁,判タ1252号120頁のいう「建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵」とは,居住者等の生命,身体又は財産を危険にさらすことがないような安全性を損なう瑕疵をいい,当該瑕疵が,居住者等の生命,身体又は財産に対する現実的な危険をもたらしている場合に限らず,当該瑕疵の性質に鑑み,これを放置するといずれは居住者等の生命,身体又は財産を危険にさらすことになると認められる場合には,当該瑕疵は,建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵に該当する。
【参照条文】 民法709
【掲載誌】 最高裁判所裁判集民事237号293頁
裁判所時報1536号275頁
判例タイムズ1357号81頁
判例時報2129号36頁
1 本件は,共同住宅・店舗として建築された建物(以下「本件建物」という。)を建築主から買い受けた原告が,本件建物に瑕疵があることを理由に,設計及び工事監理者並びに建築請負人に対して,不法行為に基づく損害賠償を請求する事件の第2次上告審である。
第2次上告審に至る訴訟の経緯は,次のようなものである。
第1次控訴審は,建物の設計・工事監理者や建築請負人の不法行為責任については,瑕疵の内容・程度が重大で,建物の存在自体が社会的に危険な状態であるなど違法性が強度な場合に限って,これが認められるとする見解を採り,原告の請求を棄却したが,第1次上告審である最二小判平19.7.6民集61巻5号1769頁,判タ1252号120頁(平17(受)702号)は,建物の建築に携わる設計・施工者等は,建物の建築に当たり,契約関係にない居住者等に対する関係でも,当該建物に建物としての基本的な安全性が欠けることがないように配慮すべき注意義務を負い,設計・施工者等がこの義務を怠ったために建築された建物に上記安全性を損なう瑕疵があり,それにより居住者等の生命,身体又は財産が侵害された場合には,設計・施工者等は,不法行為の成立を主張する者が上記瑕疵の存在を知りながらこれを前提として当該建物を買い受けていたなど特段の事情がない限り,これによって生じた損害について不法行為による賠償責任を負うというべきであって,このことは居住者等が当該建物の建築主からその譲渡を受けた者であっても異なるところはないとの判断をし,第1次控訴審判決のうち同請求に関する部分を破棄し,同部分につき本件を原審に差し戻した。
これを受けた第2次控訴審である原審は,第1次上告審判決にいう「建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵」とは,建物の瑕疵の中でも,居住者等の生命,身体又は財産に対する現実的な危険性を生じさせる瑕疵をいうものと解され,被上告人らの不法行為責任が発生するためには,原告が本件建物を売却した日までに上記瑕疵が存在していたことを必要とするとした上で,上記の日までに,本件建物の瑕疵により,居住者等の生命,身体又は財産に現実的な危険が生じていないことからすると,上記の日までに本件建物に建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵が存在していたとは認められないと判断して,再び原告の請求を棄却すベきものとした。
2 建物に瑕疵がある場合に,建物の所有者等は,建物の建築に携わる設計・施工者等が瑕疵ある建物を建築し,流通過程においたことが不法行為を構成するものとして,損害賠償を請求することができるか,特に拡大損害が生じていない状況の下において,不法行為責任を追及することができるのかについては,構造計算書の偽装に起因する建物の安全性をめぐる重大な瑕疵が社会問題となったことなどを背景として,第1次上告審判決前から活発な議論がみられたところである。上記の問題につき,第1次上告審判決は,建物の建築に携わる設計・施工者等は,建物の建築に当たり,当該建物に建物としての基本的な安全性に欠けることがないように配慮すべき不法行為法上の注意義務を負うとして,「建物としての基本的安全性を損なう瑕疵」ある建物を設計・施工した者の不法行為責任を肯定する判断を示した。
第1次上告審判決は,次の2つの解釈問題を残したように思われる。1つは,「建物としての基本的安全性を損なう瑕疵」とはいかなる瑕疵を意味するのかという問題であり,もう1つは,不法行為に基づき請求することができる財産上の損害の範囲の問題である。第1次上告審判決についての評釈等においては,前者の問題については,事例の積み重ねを待つことになろうとの理解が示される一方で,後者の問題,すなわち,賠償の対象となるのは拡大損害に限られるのか,建物自体の損害(瑕疵修補費用相当額の損害)についても賠償が認められるのかをめぐる検討をするものが多くみられた(瑕疵修補費用相当額の損害賠償を認めたものとするものとして,鎌田邦樹・NBL875号4頁,山口成樹・判評593号23頁,畑中久彌・福岡53巻4号463頁,新堂明子・NBL890号53頁,高橋寿一・金判1291号2頁,拡大損害が賠償の対象とされたものとするものとして,田口文夫・専法論集106号293頁,その他,上記の問題について検討をするものとして,平野裕之・民商137巻4=5号438頁,松本克美・立命313号100頁,同・立命324号313頁,石橋秀起・立命324号350頁,大西邦弘・広法32巻1号87頁,秋山靖浩・法セ637号42頁,幸田雅弘・法セ638号18頁,荻野奈緒・同法60巻5号443頁など)。このような議論状況が生じたのは,第1次上告審判決が,設計・施工者等が建物としての基本的な安全性が欠けることがないように配慮する義務を負う理由として,建物は,居住者等の生命,身体又は財産を危険にさらすことがないような安全性を備えていなければならないことを指摘しており,この指摘は拡大損害を念頭に置くものと理解できる一方で,建物としての基本的安全性を損なう瑕疵があり,それにより居住者等の生命,身体又は財産が侵害された場合に不法行為責任を生ずる旨を判示していたことから,ここでいう居住者等の生命,身体又は財産の侵害もまた拡大損害を意味するものと理解する余地を残したためであったように思われる。第2次控訴審判決は,上記のような議論状況の下で,第1次上告審判決の趣旨とするところにつき,設計・施工者等の居住者等に対する不法行為法上の注意義務が居住者等の生命,身体又は財産に拡大損害が生ずることがないような安全性を備える義務であると理解した上,その危険が現実化した瑕疵が,「建物としての基本的安全性を損なう瑕疵」であると解したものと推測される。
3 本判決は,第1次上告審判決後に残された上記の解釈問題等について,次のような解釈を示すものである。
第1次上告審判決が,不法行為責任が生ずる場合と契約責任(瑕疵担保責任)が生ずる場合とを区別し,不法行為責任が生ずる余地のある瑕疵を限定する意味で,瑕疵が「建物としての基本的安全性を損なう」ものであることを要するとしたことは明らかであるが,この点について,第2次控訴審判決のように,拡大損害発生の危険との時間的近接性を要求するものと理解することは相当とはいえないであろう。このような理解を採ったならば,それを放置した場合に拡大損害が生ずる危険があるにもかかわらず,危険が現実化するまでは修補のための費用を請求できないということになりかねず,そのような解釈が相当とはいえないことは明らかである。これを放置した場合に,いずれは居住者等の生命,身体又は財産に対する侵害の危険が生ずるような性質の瑕疵については,危険が現実化する前に修補することを可能にするのが合理的である。本判決は,以上の観点から,第1次上告審判決がいう「建物としての基本的安全性を損なう瑕疵」の意義について,これを放置するといずれは居住者の生命,身体又は財産に対する危険が現実化することになるような性質の瑕疵がこれに当たることを明らかにした上で,かかる瑕疵について具体的に例示し,今後の実務の指針を示したものと思われる。本判決の意図するところは,例えば,外壁のひび割れであっても,それが鉄筋の腐食,劣化等に結びつくものであって,その結果,建物の倒壊等をもたらすような性質のものに限り,「建物としての基本的安全性を損なう瑕疵」に当たるものと解するものと理解できる。
次に,本件事案は,建物に瑕疵が存在すること自体による損害である修補費用相当額等の損害の賠償が請求されている事案であって,建物の瑕疵によって生じた拡大損害の主張は全くされていない。第1次上告審判決は,本件を原審に差し戻して,損害についての審理を命じたのであるから,第1次上告審判決が,拡大損害が生じた場合に,拡大損害についてのみ不法行為に基づく損害賠償を認める趣旨のものではないことは明らかであったといえよう。第1次上告審判決の判例解説においても,「建物としての基本的安全性を損なう瑕疵」が生じた場合には,そのことにより,少なくとも建物の補修費用相当額の損害が生じているとみられる旨を述べているところである(高橋譲・平19最判解説(民)(下)515頁)。そもそも,建物に瑕疵があったために拡大損害が生じた場合について不法行為責任を認めることについては,第1次上告審判決を待つまでもなく,特段の異論がなかったところと思われる。本判決は,「建物としての基本的安全性を損なう瑕疵」がある場合に賠償を求めることができる損害の範囲に関し,学説上,上記のような理解の対立があることを踏まえ,かかる瑕疵がある場合には,建物の所有者は,当該瑕疵の存在を知りながらこれを前提として建物を買い受けたなどの特段の事情(第1次上告審判決のいう特段の事情)のない限り,当該瑕疵の修補費用相当額の損害賠償を請求することができることを明示的に判示したものと思われる。
さらに,建物が転々譲渡された場合には,だれが不法行為に基づく損害賠償を請求できるのかについても疑義が指摘されていることも踏まえ,本判決は,所有者が,当該建物を第三者に売却するなどして,その所有権を失った場合であっても,その際,修補費用相当額の補填を受けたなど特段の事情がない限り,一旦取得した損害賠償請求権を当然失うものではないことを明らかにした。第1次上告審判決が,不法行為の成立を主張する者が瑕疵の存在を知りながらこれを前提として当該建物を買い受けていたなどの事情があれば,不法行為に基づく損害賠償を請求することができないとの趣旨を説示していることと,本判決の上記の判断とを併せ読むならば,「建物としての基本的安全性を損なう瑕疵」の存在を知らずに当該建物を取得した所有者は,不法行為に基づく損害賠償請求をすることができるが,当該所有者が,これを「建物としての基本的安全性を損なう瑕疵」の存在しない建物として転売した場合には,当該所有者は,その損害を填補されたものと評価することできるから,もはや不法行為に基づく損害賠償を請求することができず,転得者が不法行為に基づく損害賠償請求権を取得することになるが,当該建物を「建物としての基本的安全性を損なう瑕疵」が存在することを前提として売却した場合には,転得者は,不法行為に基づく損害賠償請求権を取得しない反面において,前所有者は一旦取得した損害賠償請求権を失うことはないと解することになると思われる。原告は,競売により本件建物の所有権を失ってはいるが,その際には,本件建物に「建物としての基本的安全性を損なう瑕疵」を含む各種の瑕疵があることを前提とした評価がされていることが明らかであるから,原告は不法行為に基づく損害賠償請求権を失わず,本件建物に上記瑕疵が存在することを知りながら,これを前提として買い受けた買受人は,不法行為に基づく損害賠償請求権を取得することはないということになろう。
本判決は,第1次上告審判決の解釈判例と位置付けられるものであるが,今後の実務の参考になるものと考え紹介する。