雇用契約に基づく残業手当等の支払により労働基準法37条の割増賃金が支払われたものとした原審の判断に違法があるとされた事例
未払賃金等請求事件
【事件番号】 最高裁判所第2小法廷判決/令和4年(受)第1019号
【判決日付】 令和5年3月10日
【判示事項】 雇用契約に基づく残業手当等の支払により労働基準法37条の割増賃金が支払われたものとした原審の判断に違法があるとされた事例
【掲載誌】 LLI/DB 判例秘書登載
労働基準法
(時間外、休日及び深夜の割増賃金)
第三十七条 使用者が、第三十三条又は前条第一項の規定により労働時間を延長し、又は休日に労働させた場合においては、その時間又はその日の労働については、通常の労働時間又は労働日の賃金の計算額の二割五分以上五割以下の範囲内でそれぞれ政令で定める率以上の率で計算した割増賃金を支払わなければならない。ただし、当該延長して労働させた時間が一箇月について六十時間を超えた場合においては、その超えた時間の労働については、通常の労働時間の賃金の計算額の五割以上の率で計算した割増賃金を支払わなければならない。
② 前項の政令は、労働者の福祉、時間外又は休日の労働の動向その他の事情を考慮して定めるものとする。
③ 使用者が、当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合があるときはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がないときは労働者の過半数を代表する者との書面による協定により、第一項ただし書の規定により割増賃金を支払うべき労働者に対して、当該割増賃金の支払に代えて、通常の労働時間の賃金が支払われる休暇(第三十九条の規定による有給休暇を除く。)を厚生労働省令で定めるところにより与えることを定めた場合において、当該労働者が当該休暇を取得したときは、当該労働者の同項ただし書に規定する時間を超えた時間の労働のうち当該取得した休暇に対応するものとして厚生労働省令で定める時間の労働については、同項ただし書の規定による割増賃金を支払うことを要しない。
④ 使用者が、午後十時から午前五時まで(厚生労働大臣が必要であると認める場合においては、その定める地域又は期間については午後十一時から午前六時まで)の間において労働させた場合においては、その時間の労働については、通常の労働時間の賃金の計算額の二割五分以上の率で計算した割増賃金を支払わなければならない。
⑤ 第一項及び前項の割増賃金の基礎となる賃金には、家族手当、通勤手当その他厚生労働省令で定める賃金は算入しない。
主 文
1 原判決中、1070万1572円及びうち813万1174円に対する令和3年8月7日から支払済みまで年14.6%の割合による金員並びに473万3030円及びこれに対する判決確定の日の翌日から支払済みまで年3%の割合による金員の各支払請求に係る部分を破棄する。
2 前項の部分につき、本件を福岡高等裁判所に差し戻す。
理 由
上告代理人勝浦敦嗣の上告受理申立て理由(ただし、排除された部分を除く。)について
1 本件は、被上告人に雇用され、トラック運転手として勤務していた上告人が、被上告人に対し、時間外労働、休日労働及び深夜労働(以下「時間外労働等」という。)に対する賃金並びに付加金等の支払を求める事案である。
2 原審の確定した事実関係等の概要は、次のとおりである。
(1) 上告人は、平成24年2月頃、一般貨物自動車運送事業等を営む被上告人との間で雇用契約を締結したが、契約書は作成されなかった。なお、上記雇用契約は、平成29年12月25日をもって終了した。
被上告人においては、上記雇用契約締結当時、就業規則の定めにかかわらず、日々の業務内容等に応じて月ごとの賃金総額を決定した上で、その賃金総額から基本給と基本歩合給を差し引いた額を時間外手当とするとの賃金体系(以下「旧給与体系」という。)が採用されていた。
(2)ア 被上告人は、平成27年5月、熊本労働基準監督署から適正な労働時間の管理を行うよう指導を受けたことを契機として、就業規則を変更した(以下、この変更後の就業規則を「平成27年就業規則」という。)。平成27年就業規則等に基づく新たな賃金体系(以下「新給与体系」という。)の主な内容は、次のとおりである。
(ア) 基本給は、本人の経験、年齢、技能等を考慮して各人別に決定した額を支給する。
(イ) 基本歩合給は、運転手に対し1日500円とし、実出勤した日数分を支給する。
(ウ) 勤続手当は、出勤1日につき、勤続年数に応じて200~1000円を支給する。
(エ) 残業手当、深夜割増手当及び休日割増手当(以下「本件時間外手当」と総称する。)並びに調整手当から成る割増賃金(以下「本件割増賃金」という。)を支給する。このうち本件時間外手当の額は、基本給、基本歩合給、勤続手当等(以下「基本給等」という。)を通常の労働時間の賃金として、労働基準法37条並びに政令及び厚生労働省令の関係規定(以下、これらの規定を「労働基準法37条等」という。)に定められた方法により算定した額であり、調整手当の額は、本件割増賃金の総額から本件時間外手当の額を差し引いた額である。本件割増賃金の総額の算定方法は平成27年就業規則に明記されていないものの、上記総額は、旧給与体系と同様の方法により業務内容等に応じて決定される月ごとの賃金総額から基本給等の合計額を差し引いたものである。
イ 新給与体系の下において、上告人を含む被上告人の労働者の総労働時間やこれらの者に現に支払われた賃金総額は、旧給与体系の下におけるものとほとんど変わらなかったが、旧給与体系に比して基本給が増額された一方で基本歩合給が大幅に減額され、上記のとおり新たに調整手当が導入されることとなった。被上告人は、新給与体系の導入に当たり、上告人を含む労働者に対し、基本給の増額や調整手当の導入等につき一応の説明をしたところ、特に異論は出なかった。
(3) 被上告人においては、平成27年12月からデジタルタコグラフを用いた労働時間の管理がされるようになったところ、同月から同29年12月までの期間における上告人の時間外労働等の状況は第1審判決別紙7のとおりであり、上記期間のうち上告人の勤務日がほとんどなかった期間を除く19か月間を通じ、1か月当たりの時間外労働等の時間は平均80時間弱であった。
平成27年12月から同29年12月までの期間における被上告人から上告人に対する賃金の支給状況は、第1審判決別紙8のほか、同判決別紙7の「既払額」欄のとおりであり、上記19か月間を通じ、基本給の支給額は月額12万円、本件時間外手当の支給額は合計約170万円、調整手当の支給額は合計約203万円であった。
(4) 被上告人は、令和3年8月6日、上告人に対し、第1審判決が認容した賃金額の全部(遅延損害金を含めて合計224万7013円)を支払った。
3 原審は、上記事実関係等の下において、要旨次のとおり判断し、上記2(4)の弁済により賃金の未払はなくなったなどとして、上告人の各請求を棄却した。
本件割増賃金のうち調整手当については、時間外労働等の時間数に応じて支給されていたものではないこと等から、その支払により労働基準法37条の割増賃金が支払われたということはできない。他方、本件時間外手当については、平成27年就業規則の定めに基づき基本給とは別途支給され、金額の計算自体は可能である以上、通常の労働時間の賃金に当たる部分と同条の割増賃金に当たる部分とを判別することができる上、新給与体系の導入に当たり、被上告人から労働者に対し、本件時間外手当や本件割増賃金についての一応の説明があったと考えられること等も考慮すると、時間外労働等の対価として支払われるものと認められるから、その支払により同条の割増賃金が支払われたということができる。
4 しかしながら、原審の上記判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
(1) 労働基準法37条は、労働基準法37条等に定められた方法により算定された額を下回らない額の割増賃金を支払うことを義務付けるにとどまり、使用者は、労働者に対し、雇用契約に基づき、上記方法以外の方法により算定された手当を時間外労働等に対する対価として支払うことにより、同条の割増賃金を支払うことができる。そして、使用者が労働者に対して同条の割増賃金を支払ったものといえるためには、通常の労働時間の賃金に当たる部分と同条の割増賃金に当たる部分とを判別することができることが必要である。
雇用契約において、ある手当が時間外労働等に対する対価として支払われるものとされているか否かは、雇用契約に係る契約書等の記載内容のほか、具体的事案に応じ、使用者の労働者に対する当該手当等に関する説明の内容、労働者の実際の労働時間等の勤務状況などの諸般の事情を考慮して判断すべきである。その判断に際しては、労働基準法37条が時間外労働等を抑制するとともに労働者への補償を実現しようとする趣旨による規定であることを踏まえた上で、当該手当の名称や算定方法だけでなく、当該雇用契約の定める賃金体系全体における当該手当の位置付け等にも留意して検討しなければならないというべきである(以上につき、最高裁平成29年(受)第842号同30年7月19日第一小法廷判決・裁判集民事259号77頁、最高裁同年(受)第908号令和2年3月30日第一小法廷判決・民集74巻3号549頁等参照)。
(2)ア 前記事実関係等によれば、新給与体系の下においては、時間外労働等の有無やその多寡と直接関係なく決定される本件割増賃金の総額のうち、基本給等を通常の労働時間の賃金として労働基準法37条等に定められた方法により算定された額が本件時間外手当の額となり、その余の額が調整手当の額となるから、本件時間外手当と調整手当とは、前者の額が定まることにより当然に後者の額が定まるという関係にあり、両者が区別されていることについては、本件割増賃金の内訳として計算上区別された数額に、それぞれ名称が付されているという以上の意味を見いだすことができない。
そうすると、本件時間外手当の支払により労働基準法37条の割増賃金が支払われたものといえるか否かを検討するに当たっては、本件時間外手当と調整手当から成る本件割増賃金が、全体として時間外労働等に対する対価として支払われるものとされているか否かを問題とすべきこととなる。
イ(ア) 前記事実関係等によれば、被上告人は、労働基準監督署から適正な労働時間の管理を行うよう指導を受けたことを契機として新給与体系を導入するに当たり、賃金総額の算定については従前の取扱いを継続する一方で、旧給与体系の下において自身が通常の労働時間の賃金と位置付けていた基本歩合給の相当部分を新たに調整手当として支給するものとしたということができる。そうすると、旧給与体系の下においては、基本給及び基本歩合給のみが通常の労働時間の賃金であったとしても、上告人に係る通常の労働時間の賃金の額は、新給与体系の下における基本給等及び調整手当の合計に相当する額と大きく変わらない水準、具体的には1時間当たり平均1300~1400円程度であったことがうかがわれる(第1審判決別紙8参照)。一方、上記のような調整手当の導入の結果、新給与体系の下においては、基本給等のみが通常の労働時間の賃金であり本件割増賃金は時間外労働等に対する対価として支払われるものと仮定すると、上告人に係る通常の労働時間の賃金の額は、前記2(3)の19か月間を通じ、1時間当たり平均約840円となり、旧給与体系の下における水準から大きく減少することとなる。
また、上告人については、上記19か月間を通じ、1か月当たりの時間外労働等は平均80時間弱であるところ、これを前提として算定される本件時間外手当をも上回る水準の調整手当が支払われていることからすれば、本件割増賃金が時間外労働等に対する対価として支払われるものと仮定すると、実際の勤務状況に照らして想定し難い程度の長時間の時間外労働等を見込んだ過大な割増賃金が支払われる賃金体系が導入されたこととなる。
しかるところ、新給与体系の導入に当たり、被上告人から上告人を含む労働者に対しては、基本給の増額や調整手当の導入等に関する一応の説明がされたにとどまり、基本歩合給の相当部分を調整手当として支給するものとされたことに伴い上記のような変化が生ずることについて、十分な説明がされたともうかがわれない。
(イ) 以上によれば、新給与体系は、その実質において、時間外労働等の有無やその多寡と直接関係なく決定される賃金総額を超えて労働基準法37条の割増賃金が生じないようにすべく、旧給与体系の下においては通常の労働時間の賃金に当たる基本歩合給として支払われていた賃金の一部につき、名目のみを本件割増賃金に置き換えて支払うことを内容とする賃金体系であるというべきである。そうすると、本件割増賃金は、その一部に時間外労働等に対する対価として支払われているものを含むとしても、通常の労働時間の賃金として支払われるべき部分をも相当程度含んでいるものと解さざるを得ない。
ウ そして、前記事実関係等を総合しても、本件割増賃金のうちどの部分が時間外労働等に対する対価に当たるかが明確になっているといった事情もうかがわれない以上、本件割増賃金につき、通常の労働時間の賃金に当たる部分と労働基準法37条の割増賃金に当たる部分とを判別することはできないこととなるから、被上告人の上告人に対する本件割増賃金の支払により、同条の割増賃金が支払われたものということはできない。
エ したがって、被上告人の上告人に対する本件時間外手当の支払により労働基準法37条の割増賃金が支払われたものとした原審の判断には、割増賃金に関する法令の解釈適用を誤った違法がある。
5 以上のとおり、原審の上記判断には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨はこの趣旨をいうものとして理由があり、原判決中、不服申立ての範囲である本判決主文第1項記載の部分は破棄を免れない。そして、上告人に支払われるべき賃金の額、付加金の支払を命ずることの当否及びその額等について更に審理を尽くさせるため、上記部分につき、本件を原審に差し戻すこととする。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。なお、裁判官草野耕一の補足意見がある。
裁判官草野耕一の補足意見は、次のとおりである。
私は法廷意見に賛同するものであるが、そこで述べられている理由に関して、あるいは、次のような疑念を抱く者がいるかもしれない。すなわち、労働者が、使用者の個別の了解を得ることなく時間外労働等を行い得る労働環境においては、実際の時間外労働等の時間数にかかわらず一定額の割増賃金を支払う雇用契約上の仕組み(以下、本補足意見において、これを「固定残業代制度」といい、そこで支払われる金員ないしはその金額のことを「固定残業代」という。)を利用することには経済合理性があり、かかる制度の下にあっては、実際の時間外労働等の総量が合理的な範囲内に抑制されており、かつ、全体として適正な水準の賃金が支払われていると認め得るのであれば、当該固定残業代の支払を労働基準法37条の割増賃金(以下、本補足意見においては「法定割増賃金」という。)の支払として認めてもよいのではないか、という疑念である。そこで、以下、この疑念に対する私の見解を詳らかとし、もって法廷意見に対する私の補足意見としたい(なお、法定割増賃金の支払対象となる労働には時間外労働、休日労働及び深夜労働の三つがあるが、その間の異同は本件事案の争点とは直接関係がないので、以下においては、記述をより簡単なものとするべく、法定割増賃金の対象となる労働は時間外労働だけであるものとして論を進める。)。
1 労働基準法37条は、時間外労働を時間内労働に比して割高な役務とするものである。その結果、同条に時間外労働を抑制する機能があることは疑いをいれないが、同時に、同条があることによって、労働者が使用者の個別の了解を得ずとも時間外労働を行い得る労働環境においては、労働者の限界生産性が時間外労働に対する対価を下回ってもなお、労働者が更に時間外労働を行おうとする事態が生じやすいことも否めないところであり(以下、かかる事態の下でなされる時間外労働を「非生産的な時間外労働」という。)、この事態を回避するために使用者が固定残業代制度を利用しようとすることは、経済合理的な行動として理解し得る。
2 しかしながら、労働基準法37条は強行法規であるから、たとえ固定残業代制度が導入された場合であっても、労働者が雇用契約に基づいて行った時間外労働の総時間に対する法定割増賃金の金額が固定残業代を超過するときには、使用者は超過分を労働者に対して支払わなければならない。このことを踏まえて労働者のインセンティブを考慮するならば、前記の労働環境の下において、非生産的な時間外労働に対する賃金の発生をできるだけ抑止するという目的のために固定残業代制度を機能させるためには、固定残業代を(1時間当たりの)法定割増賃金の額で除して得られる時間数(以下、この時間数を「想定残業時間」という。)を、非生産的な時間外労働には至らないと使用者が認識する時間外労働の総時間数(以下、これを「生産的残業時間」という。)よりもある程度長いものとした上で、実際の時間外労働として見込まれる時間が想定残業時間を下回るようにすることが必要となる(なお、ここにいう生産的残業時間は、あくまでも使用者の認識する数値であって、この数値が訴訟上の立証の対象となることは想定されない。)。もっとも、この場合には、使用者にとって、想定残業時間が生産的残業時間を上回ることによる損失が生ずることにもなるため、使用者が、固定残業代制度を導入する機会などに、通常の労働時間に対する賃金の水準をある程度抑制しようとすることも、経済合理的な行動として理解し得るところであり、このこと自体をもって、労働基準法37条の趣旨を潜脱するものであると評価することは相当でない。
3 しかしながら、以上の点を全て斟酌してもなお、(まさに本件においてそうであるように)固定残業代制度の下で、その実質においては通常の労働時間の賃金として支払われるべき金額が、名目上は時間外労働に対する対価として支払われる金額に含まれているという脱法的事態が現出するに至っては、当該固定残業代制度の下で支払われる固定残業代(本件に即していえば、本件割増賃金がこれに該当する。)の支払をもって法定割増賃金の支払として認めるべきではない。なぜならば、仮にそれが認められるとすれば、
(1) 使用者は、通常の労働時間の賃金とこれに基づいて計算される法定割増賃金を大きく引き下げることによって、賃金総額を引き上げることなしに、想定残業時間を極めて長いものとすることが可能となり、
(2) (周知のとおり労働市場は常に競争的であるとはいえない以上)使用者は、上記のようにして作り出された固定残業代制度の存在を奇貨として、適宜に、それまでの平均的な時間外労働時間を大幅に上回るレベルの時間外労働を、追加の対価を支払うことなく行わせる事態を現出させ得ることとなるが、
(3) そのような事態が現実に発生してからでなくては労働者が司法的救済を得られないとすれば、労働基準法37条の趣旨の効率的な達成は期待し難いからである(なお、労働者が使用者の個別の了解を得ることなく時間外労働を延長し得る労働環境であることと、使用者が雇用契約に抵触することなく時間外労働を延長させ得る労働環境であることは排反的関係に立つものではない。)。
もとより、所与の労働環境において、使用者が固定残業代制度という手段のみによって非生産的な時間外労働の発生を抑止するためには上記のような脱法的事態を現出させざるを得ないという状況もあり得るのかもしれないが、そのことをもって、以上の理が左右されるべきものではなく、そのような状況下にある使用者は、固定残業代制度以外の施策を用いて非生産的な時間外労働の抑止を図るよりほかはない。
4 以上の理由から、私は、法廷意見の理由及び結論の全てに賛同する次第である。