最1小判平成23年9月22日 民集65巻6号2756頁 判例タイムズ1359号75頁 判例時報2132号34頁 税務訴訟資料261号順号11771
通知処分取消請求事件
【判示事項】 長期譲渡所得に係る損益通算を認めないこととした平成16年法律第14号による改正後の租税特別措置法31条の規定をその施行日より前に個人が行う土地等又は建物等の譲渡について適用するものとしている平成16年法律第14号附則27条1項と憲法84条
【判決要旨】 所得税に係る長期譲渡所得の金額の計算上生じた損失の金額につき他の各種所得の金額から控除する損益通算を認めないこととした平成16年4月1日施行に係る平成16年法律第14号による改正後の租税特別措置法31条の規定を,同年1月1日以後に個人が行う同条1項所定の土地等又は建物等の譲渡について適用するものとしている平成16年法律第14号附則27条1項の規定は,憲法84条の趣旨に反しない。
【参照条文】 憲法84
租税特別措置法(平16法14号改正前)31-1 、31-2、
31-4 、31-5
租税特別措置法31-3
所得税法69-1
所得税法等の一部を改正する法律附則27-1
国税通則法15-2
1 平成16年法律第14号(改正法)による改正前の租税特別措置法31条の下では,個人がその有する土地等又は建物等で所定の所有期間を満たしたものの譲渡(長期譲渡)をした場合に,それにより生じた所得には分離課税がされる一方で,損失が生じたときには,これを他の所得と損益通算することが認められていたが,改正法は,この損益通算を廃止した。ところで,改正法は,平成16年4月1日から施行されたが,改正法附則27条1項(本件改正附則)は,損益通算を認めないこととした改正後措置法31条1項の規定を,改正法施行前の同年1月1日以後に行う長期譲渡について適用するとした。
本件各事件の原告らは,いずれも平成16年1月1日から同年3月30日までの間に長期譲渡の要件を満たす土地の売買契約による損失を生じさせ,これを他の所得と通算する計算をして平成16年の所得税につき更正の請求をしたが,各所轄税務署長は,損益通算を廃止した改正後措置法の定めが適用されることを前提として,更正すべき理由がない旨の各通知処分をした。各原告らは,租税法律主義を定めた憲法84条は租税法規の不利益遡及適用を禁止しており,改正後措置法の規定を改正法施行前の長期譲渡に適用する本件改正附則は同条に違反すると主張して,上記各処分の取消しを求めたが,各1,2審とも本件改正附則を合憲と判断して請求を棄却したことから,それぞれ上告したものである。
2 本件各判決は,まず,旭川市国民健康保険条例事件についての最大判平18.3.1民集60巻2号587頁,判タ1205号76頁(平成18年判決)を引用し,憲法84条は課税関係における法的安定が保たれるべき趣旨を含むものと解するのが相当であるとした。そして,法律で一旦定められた財産権の内容を事後的に変更する立法の憲法適合性について判断した最大判昭53.7.12民集32巻5号946頁,判タ365号88頁(昭和53年判決)を引用し,暦年途中の租税法規の変更及びその暦年当初からの適用によって納税者の租税法規上の地位が変更され,課税関係における法的安定に影響が及び得る場合も,これと同様の基準により合憲性が判断されるベきであるとした。
その上で,本件において,損益通算を廃止した改正後の規定を暦年当初から適用することとされたのは,適用の始期を遅らせた場合,租税負担の軽減を目的とする駆け込み売却が多数行われ,資産デフレ進行に歯止めをかけるという立法目的を阻害するおそれがあったこと,暦年当初からの適用によって変更されるのは納税義務それ自体ではなく,暦年終了時に損益通算による租税負担の軽減を図ることを期待し得る不確定な地位にとどまるものであること,これにより暦年の全体を通じた納税の公平が図られる面があり,本件改正附則に基づき改正後措置法の規定が適応される期間も3か月間に限られていることなどを指摘し,これらの事情を総合的に勘案すると,改正後措置法の規定を暦年当初から適用したことは,納税者の租税法規上の地位に対する合理的な制約として容認され,これを定めた本件改正附則は憲法84条の趣旨に反しないとした。
3 本件では,本件改正附則が憲法84条に違反すると主張されているところ,同条の定める租税法律主義について,憲法学説は,国の課税権を国民代表議会の同意にかからしめ,民主的統制を及ぼすことを目的としたものであるなどとしている(樋口陽一ほか『注釈日本国憲法(下)』1311頁等。法律による行政の原理との関係につき触れるものとして,塩野宏『行政法Ⅰ〔第5版〕』70頁)。本件で問題となるのは,たとえ国民代表機関たる国会であろうと不利益遡及効を有する租税法規を原則として定めてはならないことをも憲法84条が求めているのかという点であるが,租税法学説ではこれを肯定するのが一般的である(金子宏『租税法〔第15版〕』104頁等。租税法律主義の内容として主張されているものにつき論じたものとして佐藤英明「租税法律主義と租税公平主義」金子宏編『租税法の基本問題』55頁)。
この点,平成18年判決は,憲法84条は課税要件及び租税の賦課徴収の手続が法律で明確に定められるべきことを規定するものであるとしており,租税法規の不利益不遡及原則禁止の趣旨を含むものかどうかについて明示的には触れていない。しかし,同判決の事案では,条例に基づく保険料率の告示が賦課期日後にされたことが同条に違反するとの主張もされており,同判決は当該告示により法的安定が害されるものではないことを指摘してこれが同条の趣旨に反しないと判断している。本件各判決が,同条は課税関係における法的安定が保たれるべき趣旨を含むものと解するのが相当であるとしたのは,平成18年判決のこのような判示をも踏まえたものと解される。
なお,所得税の納税義務が暦年終了時に成立することのみに着目すれば,暦年途中において改正された所得税に係る法令の暦年当初からの適用は遡及適用には当たらないこととなるが,本件各判決は,遡及適用に当たるか否かの一般的な判断基準については言及せず,長期譲渡の性格や所得税の仕組みという事情に着目した上で,暦年途中に改正された規定を同改正前にされた長期譲渡に適用することは課税関係における法的安定に影響を及ぼし得る旨を指摘して,憲法84条の趣旨が及ぶとしている。
4 そこで次に,本件各判決が,本件改正附則が憲法84条の趣旨に反しないとした点についてみることとする。
(1) 租税法規の遡及適用の憲法適合性については,租税法学説において,立法裁量を比較的広く認める見解(碓井光明「租税法律の改正と経過措置・遡及禁止」ジュリ946号120頁),諸事情の比較考量によるべきとする見解(谷口勢津夫「税法の基礎理論-租税憲法論序説」税法555号311頁),随時税か期間税かに着目する見解(水野忠恒『租税法〔第5版〕』9頁),不利益遡及は原則として許されず,期間税において年度途中の不利益改正を年度当初から適用し得るのはそれについての年度開始前に予測可能性があることを要するとする見解(金子宏『租税法〔第15版〕』105頁)等様々な考えが示されている。本件各判決の原判決等についての評釈は,改正後措置法の規定の暦年当初からの適用につき予測可能性が十分でなかったことを指摘して本件改正附則を違憲とするものが多いようである。
また,租税法規の遡及適用の合憲性が争われた裁判例としては,東京地判昭36.4.26行集12巻4号839頁,福岡高那覇支判昭48.10.31訟月19巻13号220頁,名古屋高判昭55.9.16行集31巻9号1825頁,名古屋地判平9.12.25判自175号37頁,東京地判平10.12.25税資239号681頁などがあり,このうち上記福岡高裁判決は遡及適用を無効としたが,他は合憲判断をしている。これらは事案も説示内容も様々であり,その中には法改正の予測可能性について触れているものもあるが,その点のみから結論を導いているわけではなく,他の事情をも考慮しているものが多いように思われる(例えば,上記福岡高裁判決は,復帰前の沖縄における事案について,課税品目となっていない物品に対する課税行為を数年以上も前に遡って全て適法化するような立法は専ら行政庁の救済措置で実質的にも不当といった指摘もしている。)。
(2) 他方,民事・行政法の分野における遡及立法の許容性についての議論にも目を広げると,行政法規の遡及適用についての予測可能性があり,しかも個人の権利・自由の合理的保障の要求と実質的に調和し得る限りにおいてのみ許されるものとするもの(田中二郎『行政法総論』165頁),遡及立法が一般に予測されているか,又はそれが客観的合理性を持つと認められる場合には,許されるとするもの(室井力『行政の民主的統制と行政法』42頁),合理的理由,あるいは公共の利益ないし公共の福祉上の理由がある場合には許容されることもあり得るとするもの(林修三「行政法規の遡及適用はどの範囲で許容されるか」『行政法の争点』56頁),法律によって保護を受ける公益の性質等,既存の権利の変更等の程度,変更を受ける権利の性質を考慮すべきとするもの(伊藤正己「民事遡及法について-イギリス法の示唆するもの」法協87巻2号149頁)などがある。
また,法律で一旦定められた財産権の内容を事後的に変更する法律の憲法適合性について判断したものとして,本件各判決が引用する昭和53年判決(①)があり,同判決は伊藤・前掲論文が述べるものと同様の判断基準を示している(最一小判昭54.2.22民集33巻1号97頁,判タ382号96頁も同様の判断をしており,中村裁判官の詳細な補足意見が付されている。)。このほか,法適用により遡及的に権利が侵害されるなどとして違憲の主張がされた事案についての裁判例として,名古屋地判昭61.9.29判タ631号137頁(②),最二小判平15.4.18民集57巻4号366頁,判タ1123号78頁(③),大阪高判平18.2.10労判910号12頁(④)などがあり,いずれも合憲判断がされている。
これらの裁判例についてみると,昭和53年判決の示した判断基準は,自作農創設特別措置法により一旦国に買収された農地を旧所有者に売り払う際の対価が事後的な法律改正によって引き上げられたことが財産権に対する合理的な制約として容認されるかについて示されたものであるが,その基準は上記②の事案(公害防止事業費事業者負担法がその施行前の事業活動についても公害防止事業の費用負担を求めたことの憲法適合性が争われたもの)や④の事案(地方公務員に既に支給済みの一定期間の給与額とその後成立した条例に基づき計算すれば当該期間に得られたであろう減額された給与額との差額相当分を,年度末に支給が予定される期末手当額の計算において差し引くとした条例の定めが,支払済みの給与を遡及的に減額して返還させるものであり不利益遡及に当たるとしてその憲法適合性が争われたもの)において引用され,また,③の事案(証券会社による損失保証合意を禁じることとした改正証券取引法の規定を改正前の合意にも適用することの憲法適合性が争われたもの)も実質的にみて同様の観点から憲法適合性の判断をしていたものである。宇賀克也『行政法概説Ⅰ〔第4版〕』16頁及び大森政輔=鎌田薫編『立法学講義・補遺』223頁は,非刑罰法規の実質的な遡及適用が肯定された例として昭和53年判決を挙げている。
(3) 以上のような学説,裁判例がある中,本件各判決は,本件各事件においても,昭和53年判決が示したものと同様の基準によって判断すべきとしたものである。本件各判決は,本件のような租税法規の変更及び適用も,最終的には国民の財産上の利害に帰着するものであるなどとして,財産権の内容の事後の法律による変更の場合と同様であると説示しているが,この点,伊藤・前掲論文では,イギリスにおいて租税法規の遡及についても民事遡及法と同様の考えが採られていることが示されており,また,1994年のアメリカ連邦最高裁判決(United.States v.Carlton512U.S.26)の法廷意見も,デュープロセス条項の下において遡及効を有する租税立法に適用される合憲性判断基準は遡及経済立法に対して適用される基準(恣意的で不合理な立法の禁止)と同じであるとしている。
なお,昭和53年判決の採る基準の中に法改正の予測可能性は要件として挙げられていないが,これは,必ずしもこのような予測可能性があるとはいえなくとも公益実現のために財産権の事後的変更等が容認される場合があることを踏まえたものと解されるところであり,前記(2)の①~④もそのような面のある事案といえよう。本件各判決も,これと同様の考えに立つものと解される。
(4) 本件各判決は,以上のような事情を踏まえて,昭和53年判決と同様の基準に基づき判断し,本件改正附則を合憲としたものである。その具体的な判断内容については,直接判決文に当たられたいが,若干補足すると,本件各判決は,立法目的に係る事情について,法改正に関連する動きの報道直後から駆け込み売却を勧奨するような動きがあったこと,長期間にわたる不動産価格の下落により経済に深刻な影響が生じていたことなども指摘している。また,変更の対象となる納税者の地位の性格と変更の程度の点については,前記(2)の①~④の各事案において変更対象となった権利関係等の経済活動との関わりの程度や当該権利関係等の確定の程度などとの比較も参考になるといえよう。
なお,本件各判決のうち第二小法廷の判決には,個人の権利保障の視点にも留意すベきとした上で,改正法の施行時期を踏まえつつ本件改正附則の合憲性について敷衍した須藤裁判官の補足意見,本件改正附則は納税者に予期せぬ損害を被らせるものであり,一定の者を本件改正附則の適用対象から外すなどの配慮をすることが望まれたなどとする千葉裁判官の補足意見が付されている。
5 本件各判決は,租税法規の改正法が,改正された当該租税法規の一部を改正法施行前から適用するとしたことの合憲性が争われた事案について,昭和53年判決を引用しつつ,同判決の示したものと同様の基準の下で合憲判断をしたものであって,理論的にも重要な意味を有するものと解される。
同旨、最2小判平成23年9月30日 裁判集民事237号519頁 判例タイムズ1359号75頁 判例時報2132号34頁 税務訴訟資料261号順号11778
更正すべき理由がない旨の通知処分取消請求事件
【判示事項】 長期譲渡所得に係る損益通算を認めないこととした平成16年法律第14号による改正後の租税特別措置法31条の規定をその施行日より前に個人が行う土地等又は建物等の譲渡について適用するものとしている平成16年法律第14号附則27条1項と憲法84条
【判決要旨】 所得税に係る長期譲渡所得の金額の計算上生じた損失の金額につき他の各種所得の金額から控除する損益通算を認めないこととした平成16年4月1日施行に係る平成16年法律第14号による改正後の租税特別措置法31条の規定を,同年1月1日以後に個人が行う同条1項所定の土地等又は建物等の譲渡について適用するものとしている平成16年法律第14号附則27条1項の規定は,憲法84条の趣旨に反しない。
もっとも、租税法規の遡及適用については、違憲説が強い。